ぱらダイアリー

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社会は24時表記を採用すべき論

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こんにちは。じーむです。


僕は常日頃から疑問に思っていることがあります。


それは……


なぜ人は12時表記を使うのかです。


12時表記には致命的な欠陥があります。数字のみでは時刻が一意に定まらないという点です。


たとえば


「明日1時に集合な!」


の文脈で「は?深夜かよ!」となることはほとんどないですが、


「明日7時からミーティングです」


と言われたら午前でも午後からでもあり得ると思うんですよね。


なので、12時表記を用いる場合、話し手には午前午後を付け加える責任が伴いますし、また聞き手もそれが午前なのか午後なのか注意を払う必要が生じます。


この手間は24時表記を使う習慣が根付いていれば完全に省くことができます。もっと言えば、24時表記を採用することで午前午後を取り違えるリスクを回避できるわけです。


事実、時刻に対して並々ならぬ慎重さを要求される鉄道会社においては24時表記が採用されています。しかし、このように賢明にも24時表記が採用されている状況は一握りで、12時表記はいまや人口に膾炙した文化です。


いまだに24時表記が採用されない最も大きな原因のひとつは、ずばり時計の文字盤でしょう。時計の文字盤に24時間分の時を刻むと判読が困難という点で現実的ではないからです。


現在、ファッションとしての腕時計は文字盤で時刻を表現するタイプが主流です(僕調べ)
概して高級腕時計メーカーは歴史が古く、必然的に文字盤を用いたアナログの商品を前面に出していることが多いです。たとえば、最高級ブランドであるヴァシュロン・コンスタンタンの腕時計は定期的にねじを巻く必要があります。


世の人々はオシャレを気にしてブランドものの腕時計を求めます。これは結構なことです。しかし、高級腕時計メーカーの、既得権益に胡座をかき、いまだに時代に逆行したアナログ時計を作り続ける姿勢はいただけません。これが21世紀になってもなお12時間表記という悪弊を断ち切れない根本的な原因となっているからです。


24時表記が浸透するためには、世の腕時計は「24時間分の時を刻んだ間抜けなアナログ腕時計」「時代に即したデジタル腕時計」の2つに限られる必要があります。ここはひとつ、マナー講師の方々に「腕時計はデジタルがマナー」とホラを吹いてもらいたいものです。嘘も方便というやつですね。









保護者「先生、明日はもともと11:00(午前)からの予定でしたが予定が入っちゃったので9:00から授業お願いできますか?」

ぼく「はい」

〜次の日〜

ぼく「おーい?」

生徒「あ、夜のことです」

ぼく「?」

この文脈で9:00が21:00であることを看破するのはほぼ不可能ですね。「僕が午前なのか午後なのか聞くべき」という意見もありそうですが、それは「後医は名医」というやつでしょう。却下!










このような悲劇がこの世から無くなって欲しいです。そのために社会は24時表記を採用すべきなのです。